コン、コン、コン。
暖炉の前で居眠りをしていたおばあちゃんは、ノックの音で目を覚ましました。時計を見ると9時を少し過ぎていました。
「こんな時間に誰かしら?」
おばあちゃんの家は森の奥にありましたから、夜に人が訪ねてくることは滅多にありませんでした。
「よっこらしょ。」
訝しく思いながらも揺り椅子から立ち上がると、おばあちゃんはドアを開けました。そこには泣きじゃくるリューイとミュウが立っていました。
「まぁ、リューイ!それにミュウまで!」
「ひっく、ひっく、えぐっ、えぐっ。お、おばあちゃんっ!」
リューイは泣きながら、おばあちゃんの胸に飛び込みました。涙と鼻水で顔がぐちゃぐちゃです。
「まあ、冷たい!こんなに冷え切って!どうしたの?こんな遅くに?!」
夜の森は子供が歩き回って良いような場所ではありません。
「ひっく、ひっく!」
リューイは泣くじゃくるばかりでまともな答えは返ってきませんでした。
「あら、あら、まあ。とにかく、中にお入りなさい。話しは後でいいから。ミュウもそこに突っ立ってないで、中に入ってきなさい。」
おばあちゃんは笑いながらリューイの背中をさすると、暖かい優しく家の中に迎え入れてくれました。
おばあちゃんの柔らかい胸に抱き締められたリューイは、急に安心したのか本格的に泣き出しました。
「うえ~ん、うえ~ん、おばあ~ちゃん!」
おばあちゃんの首にしがみつきます。
――やれ、やれ。最近は随分とお兄ちゃんらしくなってきたと思っていたけど、まだまだ赤ちゃんね。
幼児のように泣きじゃくるリューイが可笑しいやらで、愛おしいやらで、おばあちゃんはリューイをぎゅっと抱き締めると頭のてっぺんにキスをしてあげました。
コトッ
リューイの目の前に、湯気の立つホットミルクが置かれました。
「はい、どうぞ。体が温まるわよ。」
「ひっく、ひっく」
リューイはカップを手にしたものの、泣き過ぎて頭がぼうっとしているのか、なかなか飲もうとしません。しかし、一口、二口とホットミルクを飲むうちに、リューイの口も少しづつ動き出し、やがて家出に至る経緯をポツリ、ポツリと話し始めました。
「…というわけで、毎日、毎日、怒られてばかりなんだ。おばあちゃん、ボク、あの家にはもう帰りたくないよ…」
そう言って、リューイは涙を拭い、洟をかみました。まだ泣いていますが、すっかりいつもの調子を取り戻したようです。
――そんなことじゃないかと思ったわ…
話を聞き終えたおばちゃんは、胸の中でそう呟きました。おばあちゃんは真剣な顔でリューイの話を聞いていましたが、急にクスッと笑いました。
――ガーン!
おばあちゃんに笑われてリューイはショックを受けました。
――えっ?!おばあちゃん、なんで笑うの?ボクはすごく辛い目にあったのに!
しかし、おばあちゃんはリューイのことを笑ったわけではないようです。おばあちゃんの視線を辿ってみると、その先には暖炉の前で長々と寝そべっているミュウがいました。家出の原因を作った張本人は、部屋の中の一番良い場所に陣取り、おばあちゃんから貰った干し草を美味しそうに食べています。銀色狼に怯えて震えていたことなど、もう忘れてしまったようです。
――ミュウのやつ、自分のせいだってわかってるのか?!
リューイは恨めしそうにミュウを見ました。ミュウはリューイの視線などまったく意に介さず、口の奥まで丸見えになるような大きなアクビをしました。ミュウの紫色の下と大きな歯が見えました。
――あいつめ!
暖かさに体が緩んだのか、長々と寝そべっているミュウは暖炉の前の特等席を完全に専有していました。
――ミュウってこんなに長かったかな?
おばあちゃんはそんな二人を見て再び苦笑を洩らしました。
「ミュウはドラゴンだから仕方がないわね。ドラゴンは気ままな生き物なのよ。そもそも、こんなふうに人間の言うことを聞くほうが珍しいの。」
そこで、おばあちゃんはふぅ~と溜息をつきました。
「それにしても、リューイのママは大変ね。毎日、いたずら盛りの男の子とドラゴンの相手をしているんだから。堪忍袋がいくつあっても足りないわ。」
その言葉にリューイはぷぅ~と頬を膨らませました。
「いたずらしたのはボクじゃないってばっ!」
「はい、はい。そうだったわね。」
おばあちゃんは笑いながら、リューイの手をギュッと握りました。
「ねえ、リューイ、わかるでしょ?ママだって、怒りたくて怒っているわけじゃないのよ。」
リューイはそっぽを向いたまま何も答えません。おばあちゃんは握ったリューイの手を上下に振り動かしました。それでも、リューイは目を合わせようとはしませんでした。おばあちゃんはリューイのママの顔を思い浮かべました。
――たしかにねえ、リューイのママもガミガミ言い過ぎるところはあるんだけど…
「ねえ、リューイ!おばあちゃん、良いことを思いついたわ。」
おばあちゃんはリューイの頬を両手で優しく包み込むと、そっと自分のほうに向かせました。
「ママの怒りが治まるまで、ここに泊まったらどうかしら?」
その言葉にリューイは思わず顔を上げました。
「本当?」
おあちゃんは笑って頷きました。
「ええ、好きなだけ居て良いわよ。」
「やったぁ!おばあちゃん、ありがとう!」
リューイはおばあちゃんの首にぎゅっとしがみつきました。おばあちゃんの一言で先程までの悲しい気持ちなどどこかに吹き飛んでしまいまいた。急に目の前が開けたように感じます。
――グウゥゥゥ~
心配事がなくなった途端、リューイのお腹が盛大に鳴り始めましたので、おばあちゃんはクスクスと笑い出しました。
「リューイ、晩御飯は食べられなかったね?何か食べる?」
「うん、食べる!食べる!」
リューイが元気よく返事をすると
「ほら、泣いた烏がもう笑った。」と言って、おばあちゃんは再び笑い出しました。
「何を作ろうかしら?リューイが好きそうな物、何かあったかしら?」
おばあちゃんが考え込んでいると
「あのね、ぼくね、おばあちゃんが作るものだったら何でも好き!だから、なんでもいいよ!」
とリューイが勢い込んで言いました。
「まあ、リューイったら!可愛いこと!そんなところはパパの小さい頃にそっくりね。」
「てへへっ」
照れくさそうに笑うリューイに、おばあちゃんは目を細めました。
――これで一件落着ね。あとはママにお手紙を出さなくちゃならないわね。きっと今頃、心配で何も手につかなくなっているわ。
その頃、リューイのママは玄関の前を落ち着きなく何度も行ったり来たりしていました。あちらの曲がり角から急にリューイが現れやしないか、或いはこちらの道から不意に帰ってきはしないかと数分置きに辺りを見渡すのですが、通りには人影はおろか、猫一匹見当たりません。
本当はあんなに長く締め出すつもりはなかったのです。が、抱っこしていたフューイがミルクをお母さんの肩に吐いてしまい、フューイを拭いたり、自分が着替えたりしているうちに、いつの間にか30分以上経ってしまいました。玄関の前がやけに静かなことに気がついてドアを開けた頃には、二人とも姿を消していました。
――まさか、本当に森に行ったのかしら…どうしよう。
どんどん大きくなる不安に、お母さんは圧し潰されそうになっていました。


コメント