10.  羽音の主

ドラゴンの赤ちゃん、拾いました

「お、重たい…」
まだ森の中程(なかほど)だというのに、リューイは(すで)にくたくたになっていました。一歩、()み出すごとに背中に背負(せお)ったベニーの重みも増すようです。リュックの(かた)(ひも)が肩に()()んで痛くて仕方(しかた)がありません。虫カゴは(すで)にトンボやバッタ、コオロギ、チョウなどの昆虫で一杯(いっぱい)になっていました。お母さんから渡されたカゴにも、キノコや森イチゴや木の実がたくさん入っています。
「はぁ…重たい。欲張(よくば)るんじゃなかった…」
リューイは荷物を全部、投げだしたい衝動(しょうどう)()られました。おあばちゃんの家はまだ先ですし、昨日、なくしたお母さんのカゴも探さなければなりません。
――どこでなくしたのかなぁ
リューイは一生懸命(いっしょうけんめい)、記憶の糸を手繰(たぐ)りました。昨日(きのう)(めずら)しく道草(みちくさ)もせず、真面目(まじめ)にお(づか)いをしていたのです。そうです、(めずら)しく真面目(まじめ)に。途中(とちゅう)でミュウミュウという鳴き声を聞くまでは……ミュウミュウという……
「思い出したっ!あそこだ!」
リューイは大声で叫ぶと、(いきお)()()け出しました。走るリューイの背中で重たいリュックが左右に大きく()れ、それに連れてリューイの細い体も左右に()られます。
リューイは記憶を辿(たど)りながら、今来た道を戻り始めました。目指(めざ)すは昨日(きのう)の小川です。やがて前方(ぜんぽう)から風に乗って水の匂いがしていきました。小川が近いに違いありません。

(ほど)なくして、リューイは昨日の小川へと辿(たど)()きました。(あた)りを見回(みまわ)すと、黄色い花の中に()もれるようにして、カゴが落ちていました。カゴの中に入っていたたくさん(たくさん)の食べ物は、ほとんどなくなっており、くるみパンが一つ残っているだけでした。森の動物たちが美味(おい)しく食べたのかもしれません。
リューイは手に持っていた荷物をすべてカゴの横に置くと、背中のリュックも()ろすことにしました。荷物が多すぎて、もう限界(げんかい)です。
「ふぅ~、重いよ、ベニー…」
リューイは地面にリュックを()ろすと、ベニーに文句(もんく)を言いました。勝手(かって)に連れてきておいて文句(もんく)を言うなんてあんまりですが、ベニーは気にする様子(ようす)もなくリュックからゆっくりと出てくると、う~んと前脚(まえあし)を伸ばし、次に(あと)(あし)を一本ずつピーンと伸ばしました。それからもの(めずら)しそうに(あた)りを見回(みまわ)すと、周囲(まわり)にある物すべての匂いを一つ一つ入念(にゅうねん)にチェックしなら、一歩一歩慎重(しんちょう)に歩き出しました。夢中(むちゅう)で匂いを()ぐあまり、うっかり後脚でチャワン(そう)()んでしまうほどでした。チャワン草はその名の(とお)茶碗(ちゃわん)のような形をした花で、その中に朝露(あさつゆ)()まっていたのでしょうか。ベニーは()れた前脚を(いや)そうに()りました。

水面(みなも)(わた)(すず)しい風が、木々の葉をさわさわと()らします。
「はあ~」
リューイは柔らかい草の上に(だい)()()そべると、森の空気を(むね)いっぱいに()いこみました。()(とお)った水の中を泳ぐ魚の()れがキラキラと光を反射(はんしゃ)して泳いでいきました。
リューイたちが座っている(あた)りは、小川が(ゆる)いカーブを()いており、小川に(ふち)()えている大きな木が川の上に(かげ)を落としていました。その(かげ)の中や水草(みずくさ)の中が魚たちの絶好(ぜっこう)(かく)()になっているようでした。水も浅過(あさす)ぎず、深過(ふかす)ぎず、(くさ)(ぶね)を浮かべて流したり、水車(すいしゃ)を回して遊ぶのにもってこいの場所でした。
――今度はここに遊びにこようっと!
こんな良いお天気の日に水遊びができないのはとっても残念ですが、今日はカゴを回収(かいしゅう)したら()っすぐにおばあちゃんの家に行かないといけません。
――でも、少しだけならいいかな? ……う~ん、ダメダメ!

リューイが水遊びをしたい気持ちを懸命(けんめい)(おさ)えていると、どこからかともなく、不思議(ふしぎ)な小さな音が聞こえてきました。虫の羽音(はおと)のようにも聞こえますが、小さな話し声のようにも聞こえます。声が小さすぎてよく聞き取れません。
――なに、この声?虫? 虫がしゃべってる?!
リューイがじっと耳を()ましていると、その声はだんだんリューイたちのほうに近づいてくるようでした。どうやら向こうはリューイたちに気が付いていないようです。リューイは急いで身を(かが)めると、草むらに身を(かく)しました。リューイたちが草むらの中でじっと息を(ひそ)めていると、やがて小さな生き物が二匹、飛んできてカゴの(ふち)にとまりました。

リューイは最初、それを虫だと思いました。しかし、よく観察(かんさつ)してみるとそれは虫などではなく、小さな人間でした。いいえ、正確には羽が生えた小さな人間でした。虫のような人間たちは、葉っぱを幾重(いくえ)にも(かさ)ねたスカートを穿()いており、ウエストの(まわ)りに(つた)を巻いて()っぱを()めていました。細くて背の高いほうは、緑色の葉で作ったドレスを着て、頭には白い花で()んだ花輪(はなわ)()せていました。もう一人のほうは背が低く、少し(ふと)っちょで、白い葉っぱでできたスカートを穿()いて、小さなピンクの花のネックレスを付けていました。
「ベニー、あれはきっと妖精(ようせい)だよ。」
リューイは小さな声でベニーに(ささや)きました。リューイもベニーも妖精なんて見るのは初めてです。ベニーは目の前の光景(こうけい)に、知らない場所に連れてこられた警戒感(けいかいかん)一気(いっき)()()んだらしく、目を爛々(らんらん)(かがや)かせて目の前で動き回る不思議な生き物を見つめています。ベニーはそっとリューイに腕の中から抜け出すと、頭を低くしてお尻をフリフリと振り始めました。
「ベニー、ダメだよ。」
リューイは声を(ひそ)めて、ベニーを抱きかかえました。

じっと見守る二人の前で、妖精たちはカゴの中を(のぞ)()みながらなにやら話しこんでいます。風に()って聞こえてくる二人の会話を、リューイは少しだけ聞き取りことができました。
「やだ、なに、これ〇×△…」
「…食べ物よ!」
誰かが自分たちの会話を聞いているとは、夢にも思ってもいない様子(ようす)です。
「それにしても、……がいないわ。」
「誰かに…」
――「…がいない」って、の赤ちゃん(ドラゴン)のことを言っているのかな? この人たち、赤ちゃんドラゴンについて、何か知っているのかな?
リューイは二人に声を()けたくなりましたが、突然(とつぜん)姿(すがた)(あらわ)したらきっと(おどろ)いて()()ってしまうに違いありません。リューイはもう少し二人を観察(かんさつ)することにしました。
「せ~の~!」
「う~ん、重い…」
「無理だわ…」
どうやら妖精たちはくるみパンを持ち帰ることに決めたようです。先程(さきほど)から彼是(かれこれ)、5分ほどもくるみパンと格闘(かくとう)しています。二人は力を合わせてくるみパンを持ち上げようとしていますが、妖精たちにはかなり重いようで、なかなか持ち上がりません。

ずっと同じ姿勢(しせい)で見ていたリューイは、いい加減(かげん)、足が(しび)れてきました。リューイは二人がくるみパンに気を取られている(すき)に、そっと体勢を変えることにしました。リューイは音をさせないように、(かた)(あし)ずつそっと動かしました。うっかり木の枝を()みつけて音をさせることがないように、足下(あしもと)にも気を(つか)います。
そのときです。前方から「キャー」という悲鳴(ひめい)が聞こえてきました。
リューイが顔を上げると、白いドレスを着ているほうの妖精がベニーの口に(くわ)えられていました。「(はな)しなさい、このバカ猫!」
ベニーの頭をもう一人の妖精がポカスカ(たた)いています。大きな猫に向かっていくなんて、なんと勇敢(ゆうかん)な妖精でしょう。リューイは妖精の勇気(ゆうき)感心(かんしん)しましたが、感心している場合ではありません。
「ベニー!」
リューイは草むらから飛び出しました。
「キャアッ!」
ベニーの頭を(たた)いていた妖精は、リューイのいきなりの登場(とうじょう)に死ぬほど驚いて、空高く()()がりました。
「ベニーっ、だめっ!妖精さんを(はな)してっ!」
リューイは(あわ)ててベニーの(こし)(つか)みましたが、ベニーは怒られる理由がわからないのか、逃げる様子もなく、妖精を口に(くわ)えたまま、(ほこ)らしげにゆっくりと()(かえ)りました。しかし、リューイがせっかくの獲物(えもの)を取り上げようとしているとわかると、今度は憤慨(ふんがい)して座り込み、前足で妖精を(かか)()んでしまいました。
これでは手の出しようがありません。無理(むり)に助け出そうとすれば、妖精を傷付(きずつ)けてしまいかねせん。リューイが何とか妖精を助け出そうとしている間、もう一人の妖精はリューイの頭を(たた)いたり()ったりしています。
小さな妖精に叩かれてもさほど痛くはありませんでしたが、それでも妖精の()りが目に入ったときはさすがに痛くて、思わず手で(はら)()けてしまいました。リューイに(はら)()けられた妖精は、あっという間に10メートルほど先まで飛んでいきました。
「妖精さんっ!ごめんねっ!」
リューイは飛んでいく妖精に(あやま)りましたが、()たして妖精の耳に(とど)いたかどうか。
ベニーはものすごい(いきお)いで飛んでいくもう一人の妖精をキラキラした(ひとみ)見詰(みつ)めていましたが、その間ももう一人の妖精を前脚でしっかりと押さつけておくことを忘れませんでした。
リューイはどうしていいかわからず、(こま)()ててましたが、ふと何かを思いついたように辺りをキョロキョロと見回(みまわ)し始めました。振り返ると、少し先のほうに虫カゴが落ちていました。
リューイは虫カゴを拾いあげると、ベニーの目の前で開けました。中に入っていた虫たちは(しばら)くじっとしていましがた、やがて次々と外に飛び出してきました。
ベニーはそれを見ると思わず立ち上がり、口に(くわ)えていた妖精をポトリと落としました。
「今だっ!」
リューイはすかさず妖精を拾い上げると、ベニーに取られないように両手の中に包み込みました。妖精は気を失っているようでしたが、怪我(けが)はしていないようです。

そこへ先程(さきほど)、リューイに()()ばされた妖精が(もど)ってきました。
「キキを(はな)しなさい!この、悪党(あくとう)!」
妖精は(ふたた)び、リューイの頭をポカスカ(たた)き始めました。リューイは目を()られないように背中を向けながら、(さけ)びました。
「やめてよ、妖精さん!僕は何もしないよ!」
(うそ)ばっかり!人間はいつも(ひど)いことばかりしてきたっ!人間なんて信じない!」
妖精はリューイの言葉など聞いてはいません。
()って!()ってよ、妖精さんっ!僕の話しを聞いて!僕は妖精さんと話しがしたいだけなんだから。」
(うそ)つき!私たちを(つか)まえて虫カゴに()()めるつもりなんでしょう!」
(ちが)うよ!虫カゴになんか入れたりしないよ!ぼくは妖精さんとお友達になりたいだけなんだ。」リューイが無意識(むいしき)(さけ)んだ言葉には真実(しんじつ)(ひび)きがありました。妖精はふと、リューイを(なぐ)るのを止めると、ちょっと(はな)れたところからリューイをしげしげと観察(かんさつ)しました。()()いて見てみると、子供は正直で良い心を持っているように見えました。
妖精が静かになったのをみて、リューイがおずおずと口を開きました。
「この妖精さんは、キキっていうんだね。びっくりして気を失っているけど、怪我(けが)はしてないみたいだよ。」
リューイはそっと()(ひら)を開けてみせました。
「そ… …そうなの?」
もう一人の妖精はおそおそるリューイに近づくと、手の中を(のぞ)()みました。
「……う……ん……」
ちょうどそのときです。キキと呼ばれた妖精がリューイの手の中で意識(いしき)()(もど)しました。そして目を開けた途端(とたん)、目の前に人間の大きな顔が(せま)っているに気が付き、(ふたた)び気を(うしな)いそうになりました。
「…ああ…」
「ちょっと!気絶(きぜつ)している場合(ばあい)じゃないわよっ!」
もう一人の妖精は、キキの手を(つか)むと、上へと()()()げました。
「早くっ! ()げなきゃ!」
キキは気力(きりょく)()(しぼ)ってリューイの手の中で立ち上がると、フラフラと飛び立ちました。
「キキ、大丈夫(だいじょうぶ)?」
「だ、大丈夫よ。」
「じゃあ、早くっ!」
二人は一刻(いっこく)も早くここから立ち去りたいようです。
「妖精さん、大丈夫?」
リューイは二人の妖精に向かって(さけ)びましたが、返事(へんじ)(かえ)ってきませんでした。
「さようなら~。僕は森の中のおばあちゃんにいるよ。美味しいクッキーがあるから、いつでも遊びに来てね!」
リューイは(とお)ざかっていく二人に(なお)も話し掛けました。しかし、返事(へんじ)はありませんでした。
「あのね、昨日ね、僕、ここで赤ちゃんドラゴンを(ひろ)ったんだよ!ねえ、聞いている?」
リューイの声は空中に虚しく響き、妖精たちの姿はもうどこにもありませんでした。


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