「赤ちゃんドラゴンは…」
妖精たちは何も知らないリューイたちのために、噛んで含めるように説明してくれました。
ドラゴンは肉食と草食の二種類に分かれるが、このドラゴンは草食なので草しか食べないこと。大きくなるとルルアという背の高い木の葉を枝ごと食べたりもするが、小さいうちはイノンドやコエンドロなどのような柔らかい植物を食べること。歯が生えるまではイノンドやコエンドロをすり潰して食べさせ、少し大きくなったら細かく刻んであげると喜んで食べること、等々。
リューイは知らなかったのですが、赤ちゃんドラゴンが捨てられていた小川の畔に生えている黄色い花がイノンドという植物だそうです。リューイたちの国ではイノンドはディルと呼ばれていました。コエンドロはレモンのような匂いがするセリ科の植物で、薬効成分が含まれており、胃薬や去痰薬としても使えるそうです。妖精たちの話を聞いていたおばあちゃんは、たぶんコリアンダーではないかと言っていました。イノンドもコエンドロも独特の味と香りがします。どうやらこの子は癖のある植物が好きなようでした。
リューイは早速、小川の畔にイノンドを取りに行くことにしました。コエンドロのほうは、おばあちゃんが知り合いの薬師に訊いてくれることになりました。
ルルアは赤ちゃんドラゴンが生まれた国、スクエアード王国にしか生えていない植物だそうです。幹は白く、葉は青く、それはそれは美しい木だそうです。スクエアード王国はルルアの森と湖に囲まれているため、遠くから見ると国全体が青く煙って見えるそうです。スクエアード王国が青の国と呼ばれるようになったのもごく自然のことのように思えます。
リューイとおばあちゃんは、スクエアード王国という国名を初めて聞きますた。きっとすごく遠い所にある国なのでしょう。流石にルルアは無理ですが、イノンドやコエンドロであればいくらでも食べさせてあげられそうです。リューイたちはほっとしました。
リューイがほっとしていると、妖精たちはリューイをビシッと指差しました。
「そして最後に」と妖精は厳しい表情で付け加えました。
「この子に一番、大切なのは愛情よ!」
二人はリューイの顔をじっと見つめました。
この種類のドラゴンは、ドラゴンの中でも特に寂しがり屋で甘えん坊なため、愛情が不足すると自分の体を傷付けたり、何も食べなくなったりすることがあるそうです。
竜は大人になると広い縄張りが必要となるため、単独で暮らすことが多いのですが、赤ちゃんのうちは常に母親と行動を共にします。大人になる前のこの段階で母親からたっぷりと愛情を受けられない固体は、健康に育たないことが多いそうです。この子は母親から引き離されてしまったので、謂わばリューイが母親です。
「あなたはちゃんとこの子の面倒がみられるかしら?」
「大丈夫だよ!」
リューイは胸を張って答えました。が、妖精たちの顔つきは厳しいままです。
「本当にわかっている?」
「うん!大丈夫!」
「…」
妖精たちは押し黙ってしまいました。人間たちに気紛れに散々、振り回された二人にはリューイの軽さが気に入りませんでした。
人間は何もわかっていないのです。赤ちゃんドラゴンを育てる難しさも、自分たちの気紛れさや残酷さも。 でも、この子はもう契約を交わしてしまったのです。女王は言いました。「この子を最初の拾った人間がこの子の主となるでしょう」と。女王の言葉は何人たりとも覆すことができません。
暫しの沈黙の後、おばあちゃんはリューイの肩に手を置きました。
「そうとなったら…」
リューイはおばあちゃんが何を言いたのかすぐに察しました。
「今すぐ、イノンドを取りに行ってくるよ。」
「そうね、それがいいわね。」
おばあちゃんの顔にも安堵の色が浮かんでいました。心配事が一つ減って心が軽くなったリューイは、張り切って出掛けることにしました。
リューイが小川の畔で、一生懸命、イノンドを刈り集めていると、頭上から物凄くしわがれた猫の鳴き声が聞こえてきました。
とんでもないドラ声です。どんな猫だろうとリューイが見上げると、そこにいたのはベニーでした。そういえば、ベニーのことなどすっかり忘れていました。酷く怯えたベニーの様子に、リューイの心が痛みました。
「ベニー!」
大きな動物にでも追いかけられて、木に登ったのでしょうか。一体、いつからそこにいるのでしょうか。どれだけ鳴いたらそんな声になるのでしょうか。木の上にいるベニーはまるで別猫でした。ご自慢の白くてフサフサとした毛皮も泥だらけになり、目も吊り上がり、化け猫のような声を出す口は大きく裂けていました。リューイはベニーを安心させるようにできるだけ優しい声を掛けました。
「ベニー、僕だよ、リューイだよ。降りておいて。忘れていてごめんね。」
パニックからリューイのことを認識できなくなっているのか、それとも置き去りにしたリューイを恨んでいるのか、ベニーはシャー、シャーとリューイを威嚇するばかりで、一向に降りてこようとしません。
皆さんもご存じのように、猫の爪は鉤の形になっています。鉤爪は木に登るときはしっかりと木の幹に刺さって良いのですが、降りるときはその形状からまったく木に刺さらず、滑るだけで役に立たないのです。そのため、ベニーは降りたくても降りられなくなっていたのでした。
リューイはベニーが木から降りてこないのを見ると、すぐに木によじ登り始めました。木登りは得意です。このくらいの木だったらすぐに捕まえらえるでしょう。リューイは楽勝だと思いました。
しかし、木に登り始めてすぐに、リューイはそう簡単にはベニーを捕まえられないことに気が付きました。リューイが登れば登るほど、ベニーは上へ上へと移動してしまいます。とうとうベニーは木の天辺まで登ってしまいました。ベニーがしがみついている木の枝は非常に細く、ベニーの重みで大きく上下に揺れていいます。今にもボキッと折れてしまいそうです。リューイはそっと手を伸ばしました。また少しベニーが枝の先へと移動します。もっと上まで登らないと手が届きません。しかし、これ以上、登るとリューイが掴まっている枝も折れてしまいそうです。
――もう少し…
リューイは腕をベニーのほうへと伸ばしました。
そのときです、ポキッという音と共にベニーが掴まっていた木の枝が折れました。
「ギャー――ッ!」
物凄い声と共にベニーが流されていきました。
「ああっ!ベニー!」
慌てて手を伸ばしたリューイもまた、川に落ちそうになりました。小川はそれほど深くないはずですが、完全にパニックに陥ったベニーは泳ぐこともできず、ただ前足で水面を激しく叩くばかりでした。その動きは完全に溺れる人のそれでした。大変です!ベニーが溺れています!どう見ても溺れています!
「やばい…」
リューイは慌てて木から飛び降りました。地面に着地したときに、お尻を地面に強かに打ち付けましたが、そんなことには構っていられません。ベニーは凄まじい声で鳴きながら流されていきます。
「ギャー――ッ!」
リューイは走り出しましたが、気が急いていたせいか、走り出すや否や、今度は木の根に躓いてしまいました。
「痛った…」
リューイは痛みを押して走りました。小川だと思っていた川の流れは意外に早く、ベニーとの距離はどんどん開いていきます。行手を遮る大きな石を乗り越えると、数百メートル先のほうで小川が大きな川と合流しているのが見えました。
もう駄目かもしれない。リューイが諦めかけたそのときです。
ドボン!!!
何かが川に飛び込む音が聞こえました。見ると、男の人が流されていくベニーに向かってぐんぐんと泳いで行くではありませんか。男の人はあっという間にベニーに追いつくと、ベニーの首の後ろとむんずと掴み、片手でベニーを掴んだまま、もう片方の手で器用に泳いで岸まで戻ってきました。
岸に上がった男の人は、暴れるベニーの首根っこを掴んだままリューイに差し出しました。濡れた長い髪が顔に貼り付いていたために表情はよくわかりませんでしたが、リューイには男の人が微笑んでいるように感じられました。ベニーを掴んだ大きな手には何本もの蚯蚓腫れができていました。血も滲んでいます。お礼を言わなければならないのに、呆気にとられるあまり、リューイは言葉が出ませんでした。木の上のベニーを見つけてから川に落ちて救出されるまで、ほんの数分間のできことのように感じました。
「あ、ありがとう…」
ベニーは男の人の手から逃れようと、体を激しく捩りならが、四本の足すべてを使って男の人を引掻こうとしています。男の人の傷をこれ以上、増やすまいとリューイが手を伸ばすと、ベニーがシャーっと言いながら強烈な猫パンチを繰り出してきました。迂闊に手を出せません。ちょっとでも手を緩めたら、弾丸のようにどこかにすっ飛んで行ってしまいそうです。
リューイが躊躇っていると、男の人は片方の手だけで器用に上着を脱いで、それでベニーをグルグル巻きにしました。男の人はうねうねと動く上着、もといベニーをリューイにそっと渡してくれました。濡れた上着の中からは、ベニーのくぐもった鳴き声が聞こえてきます。その声から察するに、ベニーは命の恩人に微塵も恩義を感じていないようでした。
男の人は両手自由になると、顔に貼り付いた髪を手で掻き分けました。髪の間から優しそうな茶色の瞳がのぞき、リューイは一遍でその人が大好きになりました。だって、男の人は「子供が大好き」という目をしていたのですから。
男の人との距離が一気に縮まったリューイは、男の人の袖を引っ張ると、ベニーに引っ掻かれた傷を手当し、濡れた服を乾かすために、おばあちゃんの家へと連れて帰りました。



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