両親と婚約者までをも毒殺した犯人は、いまだに捕まっていません。スクエアードでは毒殺は殺人の中でも残虐な方法として、特に重い刑が科せられています。もしかしたら、犯人はすでに国外に逃亡しているのかもしれません。
両親の死を知ったのは、留学先のゼルバジアでした。訃報を受けて急遽、帰国してみると、すでに葬儀はすんでおり、遺体は王家の墓地に葬られた後でした。死因については、原因不明の病としか発表されませんでした。
その言葉を鵜呑みにしたわけではありませんでしたが、愛する人達を一度に失した女王に真相を追及する力など残っているはずもありません。思考が完全に停止した女王は、目の前の光景もよく見えず、叔父が何を言っているのかさえ理解できませんでした。呆然と立ち尽くす女王に、叔父は皆の前で慰めの言葉を掛けてくれました。
その夜、女王はまんじりともせずに過ごしました。遺体と対面もできなかったのに、どうして両親の死を現実のこととして受け入れられるでしょう。
――せめてもう一度だけ、顔を見ることができたら…
女王は扉を細く開けて、そっと外に滑り出ました。
風の強い夜でした。月は出ていましたが、曇っていたため黒いマントを着て、フードで顔を隠した女王の姿は闇に溶け込んでいました。雲の合間からときどき顔を出す月が女王の青白い顔を闇の中に一瞬だけ浮かび上がらせます。
女王はフードをしっかりと押さえると、墓地の門をそっと押しました。何世紀も前に作られた門は、奇跡的に音を立てずに開きました。
夜の墓地は暗く、ひっそりと静まりかえっていました。女王の影だけが墓石の間を静かに動いていきます。女王は一際、大きい墓の前に跪くと、マントの下からランタンを取り出して傍らに置きました。墓はまだ、新しい土の匂いがしていました。
――天のお父様、お母様、どうか今から私のすることをお許しください。
女王は声を出さずに祈ると、しばらくじっと墓を眺めていました。
――墓を暴くなんて、死者に対する冒頭では…
できればこんな事はしたくありませんでした。しかし、もしも今、ここでこれをしなければ自分は一生後悔するだろうとも思いました。
女王は深く意味を吸い込むと、意を決したようにフードを外しました。銀の髪がさらさらと零れ落ち、月の光に照らされて淡く光りました。女王はもう一度、深呼吸をすると素手で墓を掘り始めました。
堀り始めてすぐに、女王は何の道具も持たずに来てしまったことを深く後悔しました。墓は動物や墓荒らしに簡単に掘り返されないように、かなり深く掘られていました。人の手で掘り返すのは容易ではないでしょう。しかし、自分の立場では誰にも怪しまれずに墓掘りの道具を調達することは不可能でした。彼女には手で掘る以外の選択肢はなかったのです。
夢中で掘っているうちに、気が付けば指の先から血が滲んでいました。しかし、痛みは少しも気になりませんでした。自分の体を痛めつけることで、身を焼くような苦しみから解放されるような気がしたからです。時間の間隔を失い、やがてはすべての間隔も薄れ、彼女は自分が涙を流していることさえ気付きませんでした。
掘り始めてから一時間ほど経った頃でしょうか。彼女は誰かが目の前にゆらりと立ったような気がしました。
――もしや、お父様が…
女王はハッとして手を止めました。常軌を逸した行動が、眠れる死者の魂を呼び覚ましたのでしょうか。喜びとも畏れともつかない感情に囚われて、彼女は泣き濡れた顔を上げました。しかし、顔を上げた彼女の目に映ったのは、風に揺れる柳の枝でした。
「ああ、神様…どうして…」
女王は絶望に天を仰ぎました。千々に乱れる彼女の心を写すかのように、雲が狂おしい速さで流れていきます。
「ああ…」
かきむしった髪が引き千切られ風に舞いながら飛ばされていきました。もしも、今の彼女の姿を目にする者がいたら、間違いなく幽鬼だと思ったことでしょう。
それから何時間ほど経ったでしょうか。彼女の手がやっと棺の蓋に触れたとき、指の爪の幾つかは、既に剥がれ落ちていました。
指先に触れる固い木の感覚に、彼女は傍らに置いてあったランタンを掴むと、すぐさま棺の小窓を照らしました。次の瞬間、彼女は恐怖で大きくのけ反り、何かを追い払うかのように、腕を振り回しました。
その拍子に持っていたランタンが遠くに飛ばされ、地に落ちました。落ちたランタンは暫くの間、燃えていましたが、やがてジジッという音と共に消え、完全な暗闇が訪れました。一瞬の静寂の後、闇を切り裂くような悲鳴が墓地に響き渡りました。
彼女が見たのは、生前の面影を留めないほど苦痛に歪んだ死者の顔でした。
女王は悲鳴を聞きつけた墓守によって、その場で取り押さえられました。朝になってから、連絡を受けたユストが牢に駆け付けてみると、女王は壁に向かって何かを呟いていました。顔は髪に隠れて見えませんでしたが、全身から発せられる気は常人のそれではありませんでした。
――ああ、なんということ…
女王の姿を見た瞬間、ユストは胸に鋭い痛みが走りました。しかし、それを墓守に気取らせるわけにはいきません。
ユストは平静を装いつつ、墓守に心付けを握らせると、彼女はある貴族の令嬢であると伝え、この事を誰かに漏らしたら命はないと脅しました。
墓守は事情がよく分からないまま、平身低頭して謝罪しました。が、最後まで目の前の女性が誰であるかわからないようでした。
ユストと墓守が会話を交わしている間も、女王は二人にはまったく関心を示さず、壁に向かってブツブツと独り言を言っていました。
――苦しさのあまり、狂ってしまわれたか… ユストは乱れた銀の髪にフードをそっと被せると、外に待たせておいた馬車に彼女を乗せました。


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