どこから洩れたのか、女王が錯乱したとの噂が密やかに、そして速やかに城内に広がりました。人々は女王が笑っても、悲しそうな顔をしていても彼女の狂気を疑いました。両親の死からまだ幾日も経っていない中で、24時間、正気を疑われる生活は、女王に多大な心痛をもたらしました。
ユストもまた、女王のために大きな心労を負っていました。先王たちが亡くなった今、彼女は10代にして、女王の座に就きました。しかし、彼女の立場は非常に危うく、いつ毒殺されても不思議ではありませんでした。人々が彼女の正気を疑っている今なら、自殺や事故に見せかけて殺すことなど容易いことでしょう。
皮肉なことに女王の「ご病気」の噂があまりにも広がったため、宮廷議会もこれを無視できなくなり、先王たちの検死が異例の速さで行われることとなりました。
検死の結果、先王と妃、そして婚約者のすべての遺体から毒物が検出されました。検死結果の報告を淡々と聞く女王の胸に、真実を暴けた喜びはありませんでした。
ただ、検視結果を聞くことによって、両親の死をやっと現実のものとして受け入れることができるようになりました。
――全員、本当に殺されてしまったんだわ… 何も悪いことをしていないのに…
罪もなく殺された両親たちの無念さは、計り知れません。逝った者と残された者、いったいどちらの苦しみのほうが大きいのでしょうか。
「悔しい。憎い…」
気が付いたら、言葉が勝手に口から零れ落ちていました。
「そして、寂しい…」
冷たい床に落ちた無意識の言葉はコロコロと転がって、女王のつま先に当たって止まりました。
――そうか…私は悔しかったんだ。悔しくて、憎くて、寂しかったんだ…
自分の気持ちを素直に認めた途端、体から力が抜けていくのがわかりました。悔しさや悲しみを認めたら一歩も動けなくなるような気がして、ずっと気丈に振る舞ってきました。しかし、それも限界です。しなやかさのない硬質な強さは、硬いようで脆いのです。今の女王は、ちょっとした事で粉々に砕けてしまいそうでした。
最愛の両親と婚約者を失った女王に、現生への未練はありませんでした。正直、後追い自殺を考えなかった日はありません。
人は皆、地上で経験する苦難を知った上で、自らの意志で地上にやって来ると言います。だとしたら、自分はなぜこんな人生を経験する選択をしてしまったのでしょうか。「生まれてこない」という選択肢はなかったのでしょうか。
もしも、生まれる前に戻れるのなら、自分は絶対に「生まれてこない」という選択をしたことでしょう。たとえ、それによって、大好きな両親に会えないという結果につながったとしても。
――そう…二人に会えなくなっても…
女王の脳裏に両親と過ごしたかけがえのない日々が蘇りました。
――そう… 会えなくてもいいの… だって、生まれてこなければ、悲しみも苦しみも経験しなくてすむのだから…
初秋とは言え、スクエアードの夜は冷えます。一度だけ、「火をお入れしましょうか」という問い掛けが扉の外から聞こえましたが、女王がそれも断ったため、広い部屋は冷え切っていました。
侍女が部屋の中まで入ってこなかったのは、「病気」の噂が侍女たちの間にも広がっているからでしょう。
四面楚歌の状況が続き、人々に疑いの目で見られているうちに、女王はすっかり自信を喪失していました。昨日、叔父に何も言い返せなかったのも、自信のなさが原因です。自分でさえ自分を信じることができないのに、どうして人々に自分を信じさせることができましょう。
せめて夫でもいれば、二人で力を合わせて叔父とその一味に立ち向かうことができたかもしれません。しかし、夫となるはずだった婚約者までもが両親と一緒に殺されてしまいました。邪魔者はすべて排除されたのです。
彼女が殺されずにすんだのは、一重に彼女が女性だったからに過ぎません。男子であれば、たとえ他国にいても間違いなく殺されていたでしょう。
――神様、もう、疲れました…
なぜ、神様が自分をこんな目に遭わせるのか。その理由は彼女にもわかりませんでした。誰も神様の計画のすべてを知ることはできないのです。
しかし、苦しさの中でも、天を呪う気にはなれませんでした。ただ、切実に神様の計画を教えて欲しいと思いました。自分はどうなってしまうのか?これからどうすればいいのか?今の女王には10年先どころか、明日さえ見えないのです。
一晩中、自問自答を繰り返しているうちに、気が付けば窓の外が白み始めていました。
―― じょう…おう…さま… 女王様…
再びユストの声が聞こえたような気がして、女王は顔を上げました。寒さで強張った体は思うに動きませんでしたが、女王はヨロヨロと椅子から立ち上がると窓に近づき、カーテンを開けました。朝の光が部屋に差し込みます。
――暖かい…
目を閉じていると、冷え切った体が徐々に温まっていくのがわかりました。
――――部屋を暗くしているから、気力も奪われるんだわ…
女王は思い切ってすべてのカーテンを開けました。この所、ずっと誰かに見られているような気がして、カーテンも開けずにいました。
落ち込んだ気持ちとは裏腹に、今日もスクエアードは快晴です。収穫の季節に太陽の恵みが得られるのは、神様の恩恵に他なりません。
――私もこの国もまだ見放されていない!
朝の光を反射して、銀の髪がキラキラと輝きました。
――ユスト、スクエアードは今日も良い天気よ。
女王はドラゴンの仔と一緒に旅立ったユストに向かって、心の中で語りかけました。
今日もまた、厳しい一日が始まります。
――私もここで戦うわ!
一睡もしてないにも関わらず、その瞬間の女王は息を飲むほど綺麗でした。


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