「彼が生まれてすぐに、我が国にドラゴンの血肉を求める悪党どもが潜入してきました。ドラゴンの血肉は万病の薬として、ブラックマーケットでは高値で取り引きされています。肉、皮、鱗、牙など体のありとあらゆる部位が売買の対象となりますが、中でもドラゴンの心臓は不老不死の薬として、一国を購えるほどの高値がつきます。」
「なんてこと…」
おばあちゃんは絶句しました。
「それって本当なの?」
「単なる迷信ですよ。」
淡々と語るユストでしたが、その一言に嫌悪感が滲み出ていました。
「真偽のほどは確かではありませんが、私は何の根拠もない迷信だと思っています。」
ドラゴンを食べる人間がいるなんて、リューイには想像もつきませんでした。
「人間はどこまでも欲が深い生き物なのです。」
ユストの言葉におばあちゃんは大きく頷いてみせました。
「ドラゴンの中でも白竜の血肉は絶大な美容効果があるとされており、一部の貴族の間で大変な人気を集めています。」
ユストは大きく息を吐き出すと、呆れたように手の平を上に向けてみせました。
やっと元気を取り戻した赤ちゃんドラゴンの姿を思い出して、おばあちゃんは強い憤りを感じました。
「私はこれほどまでに悪食をする生き物を他に知りません。すべての肉食獣は生きるために他の動物を狩りますが、必要のない殺生はしません。しかし、人間は必要もないのに、他の動物を殺し続けています。この地上に人間より残酷な生き物がいるでしょうか。」
おばあちゃんは黙って頭を振りました。
――僕の学校にも乱暴な子や意地悪な子はいるけど、もっと酷い人間がいるんだね… 知らなかった…
先程からおばあちゃんはユストの言葉に強い共感を示していましたが、小学生のリューイにはまだ人間がそれほど悪い生き物だとは思えませんでした。
「少し脱線してしまいましたね。話を元に戻しましょう。」
ユストはお茶を一口飲むと話を続けました。
「悪党どもが領内に侵入してきた目的は、母竜ではなく、生まれたばかりのあの子でした。体の小さな子竜でしたら簡単に捕まえられますし、運び出すのも簡単です。
私たちはいろいろと手を尽くして奴等から彼を守ってきましたが、悪党どもはなかなか諦めませんでした。当初、奴等は彼を生きたまま連れ去るつもりだったようです。が、最初の目論見が失敗に終わると、今度は呪術によって彼を呪い殺そうとしました。殺してから国外へ運び出したほうが確実だと悟ったのでしょう。
奴等が連れてきた魔術師はなかなかに強力な呪術を使う男で、我が国の魔術師たちが把になって掛かっても太刀打ちできませんでした。お恥ずかし話ではありますが、私たちは結界を張って奴等の浸入を防ぐのが精一杯だったのです。その間も黒魔術師たちは昼夜を問わず絶え間なく結界の綻びを衝いて侵入してこようとしていました。
数か月ほど、双方の力が拮抗する状態が続きましたが、やがて極度の疲労とストレスにより白魔術師たちが次ぎ次ぎと倒れ始めました。辛うじて保たれていたバランスが崩れると、黒魔術師たちは結界内に一気に突入してきました。
奴等の突入と同時に、私は女王の命を受けて彼を国外へと連れ出しました。それ以上、彼を女王の下においておくことは危険でした。奴等の目的は竜の血肉であり、それによって得られる金銭であり、政治的な野望はありませんでしたので、彼さえ近くにいなければ女王は安全なはずです。」
ユストは、混乱の渦の中で最後に見た白魔術師たちの顔を一人一人思い浮かべました。彼等は脱出するユストの盾となってくれたのです。
脱出する間際、僅かに生き残っていた白魔術師たちが最後の気力を振り絞ってユストに魔法をかけてくれました。ユストにはそれが何の術かわかりませんでしたが、気が付いたら見知らぬ土地に立っていたのです。
――すまない…
ユストは心の中で白魔導師たちに詫びました。
彼等の安否が気になりますが、今のユストにはそれを知る手立てがありませんでした。
ユストは話を止めると、リューイをじっと見詰めました。
「私が彼を国外に連れ出した理由は二つです。一つは、女王が彼を非常に愛していたおり、どうしても死なせたくなかったこと。そしてもう一つは、例え迷信に過ぎないとしても、万が一にも悪人の手にドラゴンの血肉を渡さないようにするためです。」
「なんだかとんでもないことになっているのね…」
おばあちゃんはポツリと呟きました。小学生のリューイにはユストの話は少し難しくて、全部を理解することはできませんでした。
「この目の傷はそのときに負ったものです。」
ユストはそう言うと、リューイからは見えないように髪を掻き上げて見せました。
「この傷がお孫さんを驚かせないといいのですが。」
おばあちゃんは首を振りました。
「大変でしたのね。」
そして、労わるようにユストの手を軽く叩きました。
「それはあなたの勲章です。あなたの外見を悪く言うような人がいたら、それは人ではありませんよ。人の皮を被った悪魔です。」
「さっきはごめんね…」
リューイは小さな声で謝りました。
「最初、見たときはちょっとびっくりしたけど…もうびっくりしないよ。ごめんなさい。」
ユストはリューイの頭をわしわしと撫でました。
「リューイくんが悪いわけじゃないから、気にするな。」
先程のことにはまったく拘っていなそうな様子に、リューイはほっとしました。
「片目がないのは不便ですが、私はそんなに気にしていません。私たちの国では、天国に帰ったら、神様が元の五体満足な体に治してくれると言われています。」
ユストはおばあちゃんに微笑みかけました。
「あなたは神様からとても愛されていますのね。私にはわかりますよ。」
おばあちゃんはユストの強さがどこからくるのか、少しだけわかった気がしました。
しかし、リューイにはユストの傷よりも気になることがありました。
「ねえ、その悪党たちがここまで追い掛けて来ることはないの?大丈夫なの?」
リューイはユストがきっぱりと否定してくれることを期待しました。
「ありません、と言いたいところですが、残念ながら保証はできません。どこにいても100%安全ということはないのです。しかし、どうやらこちらは異世界のようですし、すぐに悪党どもがやってくることはないでしょう。今は未だこちらへ来る手段を模索している段階ではないでしょうか。」
「異世界???」
「リューイくんには少し難しかったかな。異世界というのは、ある世界と並行して存在する別の世界のことだよ。」
リューイの頭は混乱する一方でした。



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