25. 別れのとき

ドラゴンの赤ちゃん、拾いました

別れのときが近づいていました。おばあちゃんは持っていたカゴの中からクッキーの袋を取り出しました。
「これ、今朝、焼いたばかりなの。よかったら旅の途中で食べてね。それからこれは――」
そう言っておばあちゃんは、今度は細長い(かん)を取り出しました。
「パウンドケーキよ。クッキーはそれほど日保(ひも)ちしないけど、このケーキは三ヶ月ぐらいもちますから、スクエアードに帰ったら女王様と一緒に食べてくださいな。」
――妖精たちの言ったことを覚えていてくれたんだ。
ユストは深々(ふかぶか)と頭を下げました。
「ご厚情(こうじょう)、感謝いたします。」
ユストはクッキーとケーキを大事そうに麻袋(あさぶくろ)にしまうと、「どんなにお腹が減っても、これだけは食べませんから安心してください」と茶目っ気(ちゃめっけ)たっぷりに付け加えました。

おばあちゃんからの餞別(せんべつ)をしまうと、ユストは(ふところ)から何かを取り出しました。リューイはユストも餞別(せんべつ)をくれるのかと一瞬、期待しましたが、ユストが取り出したのは懐中(かいちゅう)時計(どけい)でした。
懐中(かいちゅう)時計(どけい)(うら)(ぶた)を開けると、(ふた)の裏側には白い石のような物が()()まれていました。リューイとおばあちゃんが見守る中、ユストは剣の(つか)(うら)(ぶた)を軽く叩き、()()まれていた石を取り出しました。よく見ると、白い石は指輪になっていました。
「これは私が女王様からお(あず)かりした物です。女王様はこれを竜の飼い主となる者に渡すようと命じられました。この指輪には金銭上(きんせんじょう)の価値はまったくありません。利益を得るためにこれを所有しようとするならば、(こわ)れて砂に戻ると女王様が(さだ)めたからです。しかし、良い目的のために使われるなら、この指輪は非常に価値のある物となるでしょう。」
――???
ユストが何を言っているのかリューイには理解できませんでしたが、少なくともおばあちゃんは理解したようで何度も(うなず)いていました。リューイは首を(かし)げつつも、指輪を受け取りました。指輪は白い半透明(はんとうめい)のすべすべした石でできていました。
ユストは言葉を続けました。
「この指輪には不思議な力が込められています。私どもの助けが必要なときは、強く(ねん)じながらこの石を(のぞ)きこんでください。どこにいてもあなたの念は私に届くでしょう。」
―-これって不思議な石なんだね。()(せき)っていうのかな…
リューイが石の表面を触ると、石は一瞬だけ淡い光を(はな)ちました。リューイが(あわ)てて手を離したので、危うく地面に落ちそうになりましたが、すんでのところでユストがキャッチしてくれました。ユストから石を受け取ると、石は明らかに(しん)まで熱を()びていました。
――うわぁ、すごいや!本物の()(せき)だ!
「ありがとう。」
リューイはほくほくと石をポケットにしまいました。
――明日、学校に持っていってみんなに自慢(じまん)しようっと!
そんなリューイの心を知ってか、知らずか、ユストは(こと)()げにこう続けました。
「あなたは責任を持ってこの指輪を保管しなければなりません。もしも、不注意や怠慢(たいまん)からこれを()くすならば、(きび)しい(のろ)いがあなたに(くだ)されるでしょう。」
――ええっ!?
リューイは自分の耳を疑いました。
――(のろ)いっ!?
冗談かと思ってユストを見上げると、ユストは真面目(まじめ)な顔で(うなず)きました。ユストはときどき、物騒(ぶっそう)なことをさらりと()って退()けます。
――そんなの聞いてないよっ!
別れのプレゼントをくれたのかと思いきや、()くしたら(のろ)われるなんて、随分(ずいぶん)理不尽(りふじん)な話です。せっかくですが、そんな物は受け取れません。リューイは思わずジト()になりました。
「ユスト、せっかくだけど、これ…」
ポケットから指輪を取り出そうとするリューイを見て、ユストが機嫌(きげん)をとるように言いました。「リューイくんなら、ちゃんとしているから大丈夫ですよ。」
「僕、お母さんから失くし物の天才って言われているのに…」
「外に持ち出さずに大切にしまっておけば大丈夫よ。」
おばあちゃんもすかさずユストに(たす)(ぶね)を出します。
「そんなこと言ったって…」
リューイは思わずムッとしました。
――なんでおばあちゃんまでユストの味方(みかた)をするんだよ!()くしたら(のろ)われるのは、僕なんだぞ!
二人がやたらとリューイに指輪を受け取らせようとするので、(うら)でもあるのか疑いたくなりますが、そんなふうにも見えません。大人にしかわからない深い考えでもあるのでしょうか。
三人の間でしばらく()問答(もんどう)が続き、結局(けっきょく)、リューイは大人たちに押し切られるようなかたちで、指輪を受け取らされてしまいました。小学生が大人二人に(かな)うわけがありません。
「どうして…」
――こうなった。
リューイは心の中でトホホと(つぶや)きました。
「言い忘れていましたが、ミュウの出自(しゅつじ)と女王のことは誰にも話さないでくださいね。どこで悪党どもが()(みみ)を立てているかわかりませんから。」
リューイは(だま)ったまま(うなず)きました。お気楽(きらく)性質(たち)のリューイですが、さすがにここまでくると大変なことになったと(おも)わざるを()ません。
ユストはリューイがポケットに指輪をしまい込むのを見届(みとど)けると、懐中(かいちゅう)時計(どけい)をちらりと見ました。「夕暮(ゆうぐ)れまでにはゼノビアに()きたいので、そろそろ、出発しなくてはなりません。」
ユストはそう言うと、ひらりと馬に飛び乗りました。物語に登場する騎士のようです。
「カッコいい!」
「まあ、素敵!」       
リューイはヒューと口笛を吹き、おばあちゃんは乙女のように胸の前で小さく手を組みました。「機会があれば、是非(ぜひ)、一度、我が国(わがくに)に遊びに来てください。」
そう言うと、ユストは馬上(ばじょう)からリューイとおばあちゃんに軽く頭を下げました。ユストの胸ポケットに(もぐ)()んでいた妖精たちも、ポケットから顔を出しました。
「さようなら~。またね~。」
「バイバ~イ。」
二人、(なら)んで手を振っています。
「気を付けてね。何かあったらいつでも戻ってきていいのよ。」
別れの挨拶(あいさつ)をするおばあちゃんの目には、早くも涙が浮かんでいました。それを見て、リューイもなんだか泣きそうになってしまいました。
短い間でしたが、リューイはユストや妖精たちと過ごした時間を一生、忘れることはないだろうと思いました。

別れを()しむ気持ちは、ユストも同じでした。肉親(にくしん)がいないユストにとって、この二日間の経験は(わす)(がた)いものとなりました。(やす)らぎに満ちた小さな家、素朴(そぼく)だけども心のこもった料理、無邪気(むじゃき)に笑い合った時間。もう二度と味わうことはないかもしれません。

二人に()われるまま、この国に残ることを考えなかったと言ったら(うそ)になります。キリキアに(とど)まれば、平凡ながらも平穏(へいおん)な人生を送れたかもしれせん。スクエアードではいまだに外国人であり、寄留者(きりゅうしゃ)であるユストは、本来(ほんらい)ならどこでも好きな場所に自由に行ける身でした。しかし、自分はスクエアードに帰ることを選択したのです。短い休暇(きゅうか)は終わりました。おとぎの国から現実の世界に戻る時がきたのです。
「さてと、帰るとするか。」
――帰るべき場所へ。
ユストは小さく(つぶや)きました。
秋の空は高く()(わた)り、どこまでも()み切っていました。
「二人ともお元気で。」
「気をつけてね!」
「ユストも元気でね。」
それぞれの胸に様々(さまざま)な思いがこみ上げて、別れの言葉は必然的(ひつぜんてき)に短いものになりました。ユストはもう一度、二人に頭を下げるとナミの腹を軽く()りました。ナミが軽快(けいかい)に走り出すと、ユストの姿はたちまち小さくなっていきました。
――()い人たちだった。
一度だけ、ユストが馬上(ばじょう)から後ろを振り返ると、米粒(こめつぶ)のように小さくなった二人がまだ手を振っているのがわかりました。ユストは高く手を上げて、二人に応えました。この地を再び訪れることは、おそらく二度とないでしょう。(くら)(うし)ろには楽しかった二日間の思い出が積まれています。そして、道の前にはスクエアード公国と女王が待っています。
人生にはたくさんの分岐点(ぶんきてん)があって、一つ一つの選択で行先(いきさき)がどんどん変わっていきます。今、この瞬間もユストは一つの分岐点を通過し、女王へと進む道を選択しました。
分岐点(ぶんきてん)には今日のようにはっきりと自覚(じかく)できるものもあれば、知らぬ間に通り過ぎてしまうものもあります。しかし、分岐点がわかっている限り、自分はこれからも女王へと続く道を選び続けでしょう。
ユストは女王へと続く道を(いきお)いよく()()しました。

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