食事の後、リューイはユストを誘って庭に出ました。今夜は十三夜です。昔から「十三夜に曇りなし」と言われるだけあって、今夜もよく晴れていました。月明かりが小さな庭を照らしています。
庭のサンザシの実は、今が食べ頃でした。リューイたちの住む地方では、十三夜にサンザシの実を食べると風邪をひかないという言い伝えがありました。おそらく、サンザシの実にはビタミンCが豊富に含まれていることから、そのような言い伝えができたのでしょう。
十三夜に豆や栗を供える地方もあり、そのような地方では十三夜を「豆名月」または「栗名月」と呼ぶようです。
リューイも小さい頃から十三夜には必ずサンザシの実を食べてきました。キリキア共和国が豊かになった現在では、サンザシの実よりも美味しいお菓子がいっぱいありますが、十三夜には夜更かしが許されることもあって、サンザシの実はなんとなく心が弾む特別なお菓子のです。リューイはユストにもサンザシの実を食べてもらいたいと思いました。
玄関から庭門まで続く飛び石の上をリューイたちが歩いていくと、二人の歩みに合わせるように虫たちが鳴りを潜め、二人が歩み去ると二人の後ろで再び合奏を始まります。
森の中にひっそりと佇むおばあちゃんの家は、夜の中にそこだけが明るく浮かび上がって、まるで銀河に浮かぶ小宇宙のようです。
――ここは別世界だな…
ユストは心の中で呟きました。こんなに穏やかな夜を過ごしたのは、何年ぶりでしょうか。
隅々まで手入れのいきとどいたこの庭は不思議な静寂と安らぎに満ちていて、訪れた人は誰もがお伽の国に迷い込んだような錯覚をおこすのでした。
――ずっとここにいたら、旅に出るのが厭になりそうだな…
この半年間、竜の子供を連れていたがために、ユストは満足に宿に泊まることもできませんでした。体と心はずっと休息を求めて訴え続けていましたが、やつらが追ってくることを考えると、一ヶ所に長く留まることはできませんでした。加えて、ユストにはできるだけ早く帰還して、女王を警護しなければならないという焦りもありました。
反勢力が着実に力を強めつつあるこの時期に、長く国を空けるのは危険です。ユストがいない間に、反王党派がどんな策略をめぐらすやもしれません。
――早く帰らなければ…
しかし、この庭に立っているとユストを捉えて離さなかった強い焦燥感が嘘のように溶けてなくなり、今夜ぐらいは少し息抜きをしても良いのではないかと思えてくるから不思議です。
東洋のサンザシと違って、西洋サンザシの木は、高さが5~6メートルほどになる中木です。初夏には木全体が真っ白になるほど多くの細かい花を咲かせ、秋には花の数だけ実を結びます。
今は秋なので、サンザシの木には小さな赤い実が枝も撓るほどびっしりとなっていました。
中木のうえに枝が垂れ下がっているので、子供のリューイでも手を伸ばせば簡単に実が採れます。背の高いユストは頭が木の枝にぶつかるので、枝を避けて少し離れた所に立ちました。
――こんな木があったんだ…
リューイに連れてこられたときには、濡れた髪が額に貼り付いていたので気がつきませんでした。リューイはユストの目の前でサンザシの木に飛び付くと、するすると登ってみせました。登らなくてもサンザシの実は採れますが、そこは男の子。新しいお友達の前で木登り上手をアピールせずにいられるでしょうか。
リューイもリューイのお父さんも木登りが大好きでした。学校から帰ってくるとすぐにおやつを持ってこの木に登り、夏の暑いときには涼みがてらに木の上で漫画を読み、友達が遊びに来たときはこの木の上から敵を偵察しました。
ユストはサンザシの木を見るのも、サンザシの実を食べたこともないようでした。リューイがリンゴのような小さな赤い実を一つ取って差し出すと、ユストはそれを受け取ってシャリリと齧ってみせました。サンザシの実は酸味がかなり強く、そのまま食べるには向かないようです。
サンザシの実はそのままでも食べられなくはないですが、酸味が強いので、通常はドライフルーツにしたり、サンザシ酒にしたり、飴をかけて食べます。この実を竹串に刺して飴をかけて固めると、見た目も楽しい丸くて赤くてツヤツヤしたお菓子になります。酸味と甘みのバランスが絶妙なサンザシ飴は、女の子に大人気ですが、男性にも人気があります。
リューイも今夜はおばあちゃんに頼んで、サンザシ飴を作ってもらうつもりでした。
慣れた様子で実をもいでいくリューイを手本に、ユストも見様見真似で手伝います。リューイは木の内側から、ユストは外側から実をどんどん収穫していきます。ユストは背が高いので低い所になっている実を採るよりも、上の方の実を採るほうが楽でした。
「ユストは背が高くていいな…」
リューイが思わずそう呟くと、ユストは可笑しそうに笑い出しました。
「ハハハッ、リューイくんだって、そのうち俺と同じくらい大きくなるさ。リューイくんのおじいちゃんもお父さんも大きいのだろう?」
ユストが可笑しそうに笑うので、リューイもなんとなく楽しくなってエヘヘッと笑いました。
「早く大きくなりたいなぁ。」
そう言った後で、ずっと前にもユストと同じような会話をしたような気がしました。
「ねえ、ユスト…」
「なんだい?」
「僕がもっと若かった頃、ユストに会ったことあるかな?」
「若かった頃って…」
――おまえ、何歳だよ。十分、若いだろうが…
ユストは思わず突っ込みを入れそうになりました。
「あのね…上手く言えないんだけど、ずっと前にもユストと同じような会話をした気がするんだ。」
ああ、そうかとユストは頷きました。
「それは「デジャブ」って言うんだよ。初めてなのに、どこかで経験したことがあるような気がするんだろ?」
「うん。」
「俺はこの国に来たのは初めてだから、リューイくんに会ったことはないはずだけど、もしかしたら、生まれる前にどこかで会っているのかもしれないね。きっと、俺たちは生まれる前から友達だったんじゃないかな?」
何気ない質問に、ユストは素敵な言葉で返してくれました。
――生まれる前から友達!
そんなこと、考えたこともありませんでしたが、すごく特別な響きではありませんか。
「そうだね!僕たち、きっと、生まれる前から友達だったんだね!」
「そうさ。」
ユストが手を差し出すと、リューイはその手をしっかりと握り返しました。男同士の固い握手です。
「リューイくん…」
ユストは少しだけ戸惑った様子をみせました。
「?」
「…降りるのに邪魔だろう。カゴを持っていてやるよ。」
「うん、ありがと。」
リューイは持っていたカゴをユストに手渡しました。
――握手を求めたわけではないんだが…
それは言わずにおきました。


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